2009年8月

 
8月31日 月曜日
  予定通りワトきゅんの血豆手術。

お昼前に預けて、シスターズと時間つぶし。

涼しい日で助かった。

6時過ぎまで時間があったけれど、家に居ない方がゆっくり出来る。

森林公園を2時間近くも歩いて、買い物をちょっとして、無事終わったワト坊を迎えに行く。

真っ暗な三重の山を走ったのは初めて、ホント真っ暗だった。。


8月30日 日曜日
  明日はワトの手術なので、今日は水泳はやめておき、どこか歩き散歩へ行こうと出かける。

近くの神社へ行ったら、
『犬の散歩はお断り』になってしまっていた。

きっと放置ウンチがひどく、立ち入り禁止になったんだ。
ひどい話。。


「ぼきゅもぜったい前!」

気を取り直して、別の散歩道へ。


8月29日 土曜日
  ワトはお気に入りのモノをソファーに持ってくることがよくある。

はむはむして・・

ぱぱじがなんかしゃべっているので見てあげる。


8月28日 金曜日
  今日は三重の病院へ。
ミモがお世話になったのでご挨拶に出かけました。

で、ワトの去年からある『血豆』。時々破裂しては出血しているので、取ってもらうことに。
過去に2度の細胞診をしていただいているけれど、ミモの事もあるし、何に対しても神経質になってしまう。
たぶん、大きくなってしまったダニを「えいっ」っと取ってしまった後に、そうなったんじゃないかと私は予想しているのですが。

手術は月曜日になりました。歯のスケーリングもついでにしてくださるそうです。

ミモに似てるけど、やっぱり・・目がちっこいや!

8月27日 木曜日
  エクレア ロータス風味。。

8月26日 水曜日
  玄関を見たら、セレンが残されていた。。
よし、ままじの今朝の担当はセレンね。

ピノちゃん遅いなと思っていたら。

 

ちゃんと来た。


8月25日 火曜日
  対岸の山々がくっきりと、良いお天気。
涼しいし、散歩がとっても気持ちいい。
どういう順番かわからなくなったけれど、今朝はワトを連れて。

ミモの好きだったコースを行こう!

先を行っては振り返り「にこり」としていたミモ。
ワトはいっつもすたすた無口に歩いていたけれど!?

ワトもひとりになって、ミモみたいにするようになった。


8月24日 月曜日
  随分涼しくなってきました。

もしここまで持ちこたえてくれたら、もしかして、ミモはまだ生きられたんじゃないかと、まだまだ諦めきれずにいます。

夏はワンコにとって、
つらい季節ですものね。

そしてロタもまた、ミモのところへ。


8月23日 日曜日
  セレンも。

8月22日 土曜日
  時々こうしてお母ちゃんのところへ行きます。

8月21日 金曜日
  今朝はロタの番だと思って、用意を済ませ、玄関を見ると。。。
誰もいなかった。。

本来、皆私を待ってるのが、嫌なのよね、ぱぱじと一緒に行っちゃったよ。。
寂しい、私の朝の散歩は無しでした。

8月20日 木曜日
  ミモ愛用のチョーク、こうすればいつも一緒だもん!ミモも一緒に散歩なんだもん!

気が付くと、ヘンなカッコウでクズに突っ込んでるヒト。。

 

 

振り向くとピノちゃん。

ワトはいっつもお母ちゃんと一緒だったもんな・・。
 

寂しいよね、寂しいよ。

 

8月19日 水曜日
  ぱぱじが出張から帰り、いよいよ今日から3にんの散歩をどうするかということになる。

夕方私が3にん連れていくので、ぱぱじには朝ふたりを連れて行ってもらい、私が朝、ひとりを行く。

今朝はセレンからスタートで、ピノちゃんに出会い、一緒に。

あ、セレンもミモに似てるな〜と思う瞬間もあり。。

 

いや。。目がちっこいや!

 

8月17日 月曜日
  おかちゃんに連れられ、りょーちゃんとジュニ男来る。

プロガラもお盆休み。

今だミモのおっぱいをぺろんしてたジュニだものね、寂しいよね。


8月16日 日曜日
  ミモの初七日をしました。

ぱぱじ東京へ出張のため米原まで送り、ふーみんさんと合流し北へ。


8月15日 土曜日
  蚊帳を買ってありました。

ミモが2階へ上がれなくなったら1階の和室で寝ようと。
蚊が多いんです、我が家地方。

けど。。。ミモは意外と2階へ上がってくれてましたし、最期の方は抱っこであげたりして、結局使うことがありませんでした。

結構高いのにな、蚊帳・・・でも女子はお気に入りらしい。

8月14日 金曜日
  お仕事をお休みしているふーみんさんも、もうすぐ復帰。
その前にしこたま会っておかないと。あ、お盆休みでもありますが。

ワトを連れて北へ。

ハナ・モモちゃんと、アリエルちゃんに会えました。

よかった、ミモの事、
報告できました。


8月13日 木曜日
  ミモ、じょゆーさんのよう!
お花いっぱい、みなさんに心から感謝です。

8月12日 水曜日
  今年はミモのために沢山トマトの苗を植えたのですけどね、まだまだ収穫できるのに全部食べずにいっちゃった・・

8月11日 火曜日
  ミモとお別れする朝がきてしまいました。

皆様から沢山沢山お花が届きました。

火葬場に駆けつけてくださったてぃあまま、qoomamaととうたん、セナママ、ソルトさん、サンゴちゃんと一緒にオバチャン、シェルちゃんとシェルママ。
私の両親。

本当に本当に有難う。

お焼香をし、最後のお別れをしていただく。

ミモには沢山の幸せをもらったのですが、私はミモを幸せにしてあげられただろうか、そればかりが心配。
お線香の漂う中、ぱぱじの両親ももう一度来てくれて、家族でひっそりと晩を過ごしました。


8月10日 月曜日
  朝、6時40分、ミモはいっちゃいました。。。。
 

先週の月曜からご飯を食べなくなって点滴に毎日通っていました。

今朝もなんとなく元気がなく、お水を飲んで、へたっと横になっていました。

なんだかちょっとおかしいと思ったのは、ソファーへ上がってから、前足を下ろし、下へ降りようとし、ぱぱじに下ろしてもらってへたりこむ。

あーおかしい、ぜんぜんおかしい。。。と思った瞬間、息が小さく、目つきがおかしくなり・・・・

最後にお口を2回ぱくぱくしました。

「ぱぱじ、ままじ」と言ったように思えました。
苦しそうではありませんでした、穏やかに穏やかにいったように思います。

心が前がなかった私はうろたえました。
そんなそんなバカな、まだそんなじゃないでしょ!

ぱぱじが出勤前でよかった。

しばし呆然としながらも、ミモをソファーに寝かせ。。
まるで本当に真剣に眠っているよう。

うろたえながらも、まず誰に連絡したらいいのだ!
頭が完全にパニック。

親戚同様の三男坊ジュニのおかちゃんのとこ、四男坊メーちゃんのところからだ。

それからそれから・・・・・・・・・・
サンゴのオバチャン、出勤前でまだ家にいるだろうか。。それから
訓練の先生、シェルママだ。
あとはあとは?????

おかちゃん、訓練の先生がすぐに駆けてつけてくださる、それからぱぱじの母、
そしてメーちゃんのお母さんとお姉ちゃん。
ふーみんさんと、仕事を休んでくれたオバチャンとシェルママ。
仕事の帰りに寄ってくれたパーちゃんのママとまる子ちゃんのママ。
ピノちゃんのお父さんとお母さん。
ぱぱじの両親。

こんな事で一族の集まりになってしまったなんて、なんて切ない。

兄弟でガウガウして、ミモ目を覚ましてくれないだろうか。
「うるちゃいわね!」って。

仕事を終え、オヤビンも来てくれた。

みんな出たり入ったりしながら、ずっとずっといれくれた。

そして最後に、勤務を終えた、三重の先生が駆けつけて下さる。
いろんな話を聞きながら、朝の5時までいてくださいました。

ミモは幸せ者、私が死んだって誰もこんなに駆けつけてはくれないでしょう。

最初に腕の付け根に出来た肥満細胞腫は放射線治療終了してから5ヶ月後、リンパへ転移、そしてこれを切除してから9ヶ月経っていました。

9ヶ月経って、脾臓に『なんか』が出来る。が、その腫瘍細胞は、前の細胞と感じがちょっと違っていたんです。
当初『何か分からない』くらいのお話でした。

ですので、前の腫瘍は「コントロールできていたように思う」と先生はおっしゃいました。
とすると、、この度の物は新たに現れたモノだったかもしれないというお話です。

この日はご飯も食べられず、眠ることも出来ず、でも皆さんが駆けつけてくださり、どれだけ心強かったか。
暖かい皆さんとお通夜をした晩です。

何とお礼を申し上げたらいいのか。
本当に本当に有難うございました。

 


8月9日 日曜日
  この日も朝点滴へ行く。

夜中に薬が切れるので、自分でやる皮下点滴とお薬をいただいて帰る。

あまり効果がないので、今度『高カロリーの点滴をするよう注文しておく。』と先生。
輸血もした方がいいかもと。

今改めて見ると、だいぶしんどそう。

滅多にこのソファーには上がらないのに、どうしてだろうと思っていた。

 


夕方の散歩、チビダマはぱぱじに行ってもらい、小雨の中、私はミモとちょっとトイレくらいと出かけた。
ウンチ袋だけ持って。

するとミモはどんどん浜へ歩いて行く。どんどんと。

何の迷いもなく、最近までよく泳いでいた浜へ。

泳ぎたいんだな、とリードをはずしてやると、すたすた琵琶湖へ入って、右、左とすいーっと泳ぐ。
右、左と泳いで、今度は水の中で立ちすくんでいる、呼んでも上がってこない。

雨がだんだん強くなってきた。

「ミモ、雨もすごいし帰ろう」
と膝まで水につかりながら迎えに行く。

浜まで押して上げると、今度はしゃがみこむ。
困ったな、携帯も持ってきてないし、抱っこして帰れるかな。

どうしても歩いてくれないので、抱っこして10歩歩いて、休んで、まだ10歩ほど歩いて休むを繰り返す。
26kgになってしまったとはいえ、抱っこで歩き続けるにはあまりに重い。

ざんざん降りの雨の中、抱っこ、休み、抱っこ、休み、時々少し歩いてくれてようやく家へたどり着く。

なんとなく「ミモが泳ぐのはこれで最後かもしれない」と思ってしまった。
思ってはいけないのだけど。

でもお願いだ、私をさんざんてこずらせて逝ってくれ と思った。
出来る限りの全ての事をしてやりたと思った。

今、ミモが逝って1週間ちょっと。
悲しいというではなく、とにかく辛い辛い辛い。
胸が苦しい苦しい苦しい。

私自身をどっかに放り投げてしまいたい。

時間が経って「ちょっと落ち着いた?」と聞いて下さるけれど、
時間が経てば経つほど辛く苦しくなってゆくものです。
特に写真を見ると・・・
 


8月8日 土曜日
  ゆっくりゆっくりのお散歩。
 

8月6日 木曜日
  もうミモがいなくなってからつける日記の苦しい事。

この頃はまだいっちゃうなんて微塵も思わなかった。
しんどそうにしていたので、散歩はミモ単独で。

すたすたと浜へ行きたがる。

でも時々休みたがるのです。


8月5日 水曜日
  点滴に通う毎日。

水分とはき気止め。
薬が効いている間は大丈夫でも、切れる頃に戻し始める。

8月4日 火曜日
  ワトきゅーん、トマト食べなよ〜〜
 

8月3日 月曜日
   
   

帰ってご飯の用意をするけれど、ミモが食べない。。
また前のようになったんじゃなかと思い、点滴をしてもらいに行く。


8月1日 土曜日
  訓練の先生の所で、毎年恒例のB.B.Q大会。

「絶対いきゅ!」というワトとロタで。

お食事終わって、皆で遊ぶ。

今年も有難うございました。
五郎先生が「また来年ね!」って。
はい、またお願い致します。

 

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